あずさジャーナル
journal

公人として使っていたFacebookの削除/むのたけじさんの「遺言」

2019.05.12

先日、これまで公人として使用していたFacebookのアカウントを削除した。任期満了となり、公人としての発信ではなく私人としての発信に時折使用しようと思って残してあったのだが、最後に殆ど直接的な面識のない八王子市民の女性から酷い言いがかりを書き込まれ、私人としての「発信」も中止したほうが良さそうだと判断したためである。

 

事の発端は、私が例によって一部の男性たちによる攻撃や支配、依存がなぜ起こってしまうのかということを、社会的な意識や構造の問題に結び付けて書いていた投稿に突然、ある女性がご自身の私的な経験を書き込んできたことであった。「私的な経験」を書き込むこと、語ることが悪いということは全くない。ただし、そこで語られることの目的が何であるか、ということは常に問題にせねばならない。

そのかたの書き込みは、以前に私が上野千鶴子さんを信奉する従来型の一部の自称「フェミニスト」の方々を批判したことについて、男性たちから外見について酷い表現を投げつけられることの不当さを語りつつ、ご自身を含む先輩女性たちがどんなに職場で苦しみながら頑張ってきたか、ということ、上野千鶴子さんの先日の東大入学式での「祝辞」がいかにわかりやすく清々しかったか、対してあなた(佐藤)の話は硬くて難しい、というご意見であった。もちろん、私は正当な批判や「ご意見」にはきちんと耳を傾けてきたし、自分が主張したことへの反論にも時間の許す限り答えてきたつもりである。けれども、私を攻撃したり貶めたりすることを目的とした言いがかりや、(無意識的なものも含めて)嫉妬や憎しみ、承認欲求、あるいは支配欲や依存心を満たすための接触には毅然とした態度で向き合ってきた。

 

この女性の書き込みは、一見、私の主張への批判に見えるようでいてそうでなく、はっきり言えば「おまえごときが何を偉そうに」というルサンチマンを感じるものであった。なぜなら、コメントの末尾に「かわいくもなければ美人と言われたこともないババアとしての意見です」という恨み言のような言葉が記されていたからである。

なんという矛盾、と驚いたが、そもそもフェミニズムに救われたというならばなぜ最後に、こうして「いまだ救われていない」ことが露呈するような呪いの言葉を書いてしまうのか、とショックも受けた。

少なくとも、私自身が「フェミニズム」であると思っている考え方は、男性が女性を見下し都合よく支配しようとしたり不当に貶めたりするための「ものさし」をぶっ壊して(!)、女性自身がそうした下らない「ものさし」から自己を解放するための思想なのだけれども、なぜこのかたは自分自身が苦しめられてきたはずの「男の視線」をいまだ内在化しておられるのだろう、というショックであった。

これはまさに、日本におけるこれまでの「フェミニズム運動」が解決しきれなかった問題の露呈であり、女性が「自分(たち)とは違う」と感じる同性への敵意や嫌悪感を抱いてしまう状況を招いてしまったことや、女性たちが自ら女性同士を分断し、争わせるという皮肉的で不毛な状況を示すものではなかろうか。

私はこのかたのコメントに対し、まず先般の上野千鶴子さんの「祝辞」をどう受け止めるかは個々人の自由であるが、弱者を弱者として位置づけようとすることは間違っているのではないかということ、なぜ「弱者」とされる人がその立場に追いやられてしまうのかという社会構造の問題に切り込まずに「批判をしたように見せかける」ことは学者として悪しき振る舞いではないかということを私は思っていると伝えた。更に、容貌がどうであるかということに関わらず、あらゆる女性に対してミソジニーが向けられていること、外見について酷い言葉や視線を投げかける男性たちのふるまいについて、女性自身がそうした男性の「ものさし」に自らを貶めることをしてはならないのじゃないか、ということを返信した。そして、私自身が八王子の市民活動家の男性たちから酷い中傷や攻撃を受けているときに、それを見て見ぬふりをした女性たちがいたことについてもどんなに残念であるかを伝えた。また、私の言葉がわかりにくいのであれば、もう私は公人でもないので、より共感できる人の文章を読んでほしいとも伝えた。

 

これに対してこの女性から返ってきた言葉は、「地域に基盤のないあなたがトップで当選できたのは公約だけではなかったと思う」「みな人は弱い存在、弱いからこそ支え合うものだ。多くの人の努力や犠牲の上にご自身が存在することを考えることも必要」「自己実現のためだけに地方自治に関わったのではないと信じています」などというものであった。

 

絶句した。やりとりの文脈から、「顔で当選した」とでも言いたいのかと強い怒りがわいた。これは私が4年間に何百回と浴びてきた「批判」であり、「またか」と吐き気がした。しかし最も許せなかったのは、「多くの人の努力や犠牲の上にご自身が」「自己実現のために云々」という部分であった。

 

在職中、「応援してやったのだから俺の言うことを聞け」という態度で異様な接触を繰り返す男性たちにどれだけ苦しめられてきたか、そしてどれだけ議会で少数派として市側やいわゆる「市長与党」サイドとやり合って踏ん張ってきたか、市民の皆様のご相談を受けて、委員会や審議会でたった一人の立場であっても、怯まずに論戦を展開しようと努力してきたか、ということを思った。そしてそんな私を信じて一所懸命にご相談や思いを託して下さった市民の皆さん、「佐藤あずさ」を支えようと心を砕いて下さった皆さんの顔を思い浮かべた。つまりは4年間の仕事の日々と、本当に応援して下さっていた皆さんの思いが、この女性の個人的な悪意によって強く深く傷つけられた思いだった。

 

こうした言いがかりをつけられることにはもう慣れっこになっていたはずだったが、年上の女性からこうしてやられてしまうことには、本当に情けなさと悔しさがわいた。

こんな「お説教」で私の意見発信や考え方、姿勢を封じ込めようとする圧力には絶対に屈さない、二度と屈したくない、という思いと、いい加減にしてくれ、という思いだった。

 

そして私はFacebookのアカウントを削除する旨を書き、強い怒りを表明したが、この女性は、顔で当選したなんてそんなことは言っていない、と弁明し(「そんなつもりはない」というなら失礼な物言いについて一言謝ってほしいものだが、こうした書き込みをする人はそもそも決して謝ることはしないのだ)、自分はこれまであなたを批判なんかしたことがなかった、一言いってみただけだ、自分もあなたの「ファン」から嫌がらせを受けると困るから退出する、と捨て台詞を残して書き込みをやめた。

 

「自分も」とか「あなたの『ファン』から」という言い方には既視感があったが、それはまさに、私に執拗に絡んだり中傷したりしていた八王子の市民活動家の男性たちの発言と同じものであった。ちなみにこの女性は、それらの男性たちのうちの1人の「お友達」であった。つまり彼女は、彼らのハラスメントを「見て見ぬふりをしていた女性」のうちのひとりなのである。

 

これまで何度か書いてきた、古い世代の「リベラル」や「左派」の一部の人々、そして一部の自称「フェミニスト」の方々が抱える問題というのは、若い新しい人間が社会運動や市民運動、政治活動に参加し大きな声で意見を言い始めると、こぞってそれを疑い、「(自分たちと)センスが違う」といって攻撃したり、あるいは、すり寄り自分の思い通りに言うことを聞かせようとして失敗し、その挫折感や憎しみを理由に執拗に絡みつくことであった。これは彼らの「排除の論理」と「支配欲および承認欲求」に原因があり、自由と平等を標榜していながら、他でもない自分自身のなかに差別的であったり権威主義的であったりする矛盾を抱えているということの露呈であると私は思う。

 

いずれにせよ、私は最後にこの女性の書き込みによって気付かされたのだが、私が闘わねばならないのは、女性を見下し支配しようとしたり依存したりしてくる一部の「男性」ではなく、そうした男性たちの「ものの見方」をいつの間にか内在化してしまっている人々の「意識そのもの」である。

 

こうした意識をもつ人たちは、「自分こそ左派/リベラル」「私こそフェミニスト」と思い込みながら、下の世代(あまり世代論に還元したくはないのだが)や「自分とは違いそうだ」と思う人を攻撃し、抑え込もうとする。そのやり方は、「あなたのためを思っている」とか「頑張って来た先輩たちへの敬意を忘れないで」というもっともらしい「助言の形」をとっているから始末が悪い。

 

生前の、むのたけじさんと対談をした際、「新しい運動を起こそうと思ったら、先輩たちとうまくやろうとしてはダメだ。仲良くなんてやれるはずもない。徹底的にケンカをして議論をして、乗り越えろ」という言葉を贈って頂いた。私はこれは、むのたけじさんの遺言であると思っているが、まさに今回書いたようなことも、それにあてはまるんだと思うようになった。

 

私は自分をここまで育てて下さった大先輩たちへの尊敬とあこがれをもって、政治の仕事をさせて頂いてきた。けれども、乗り越えなければいけない「先輩たち」もまた、いらっしゃるのだということにも気づいた。

 

私人に戻り、静かに暮らす中で、この問題をじっくり捉え、新しい手段を得て社会変革を目指すために、努力をしたいと思う。

そういた時間をもつためにも、SNSの長時間の利用はやめるべきであるし、得体の知れない悪意や嫉妬、言いがかりをいまだにつけてくる人々と物理的に距離をおくためにも、こうしたツールを削除しようと決めた。ツイッターはおかしな人に絡まれたのをきっかけにアカウントを削除したが、これはとてもいい判断だったと感じる。ツイッターでは建設的な議論などほぼ不可能であるし、私のケースでは良いつながりも少しはある一方で、顔の見えない人々からの無数の悪意や攻撃を受け取るほうが圧倒的に多かったためである。この点はFacebookもあまり変わりがなさそうである。

SNSは今後は完全にプライベートでのみ利用をし、数年間は社会的な発信もすべて控えたい。「発信」ではなく「吸収」のための時間を過ごす決意をする。

あずさジャーナル一覧へ
PDFダウンロード
社民党
社会民主党八王子総支部事務所
〒192-0053 八王子市八幡町14-13
TEL/FAX : 042-626-7545
佐藤あずさのFacebook

Page Top