あずさジャーナル
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[読書メモ]島本理生さんの『ファーストラヴ』を読んで

2018.07.30

[読書メモ]

島本理生さんの直木賞受賞作『ファーストラヴ』を読んだ。

父親殺しの罪に問われた大学生の女性と、彼女の半生を綴ったノンフィクションの出版のために、彼女の混沌としたこころと生育歴を追いかけ、救いたいと願う心理カウンセラーの女性との物語。

性暴力そして性虐待について、身体的な接触のみが女性、少女を傷つけるのではなく、彼女が男性たちから「そのようなことをしても良い存在」としての視線を向け続けられることのおぞましさを描き出していると感じた。

また、この小説に『ファーストラヴ』というタイトルがつけられていることの意味も考えてしまう。父親殺しに問われた大学生が、幼い頃に味わった失望、自身に歪んだ欲望や支配欲求をぶつけてくる男性への防衛反応として、「あれは初恋だった」と思い込もうとすることなのか。あるいは、「初恋」という意味ではなく、初めて彼女が大切にされる経験、はじめて自分自身の感覚やこころを偽らなくても良いと解放されたことが「ラヴ」と表現されているのか、それとも、獲得ではなく喪失体験としての意味合いなのか、色々と考えてしまった。

以前、私は伊藤詩織さんの告発について、「レイプという暴力はもとより、彼女が相手に寄せていた信頼と尊敬が裏切られたことが更に彼女を深く苦しめたのではないか」ということを書いたことがある。その文章自体はあまり読んだかたの賛同を得られなかったのだが、自分自身について振り返ってみると、私はどうしても詩織さんの味わった失望と苦しみに、重ね合わせずにはいられない出来事があったのである。

ずっと以前に私自身、ある不幸な出会いを経験したことがある。それは詩織さんが経験させられたような、許されない暴力や犯罪に結びつくような深刻なものではなかったのだが、私のこころを深く傷つけるのには十分な出来事だった。

長年信頼と尊敬を寄せ、その人の言動が私に及ぼす影響といったら、いとも簡単に私に自信を喪失させ、狼狽させることが可能なほどであった。

その「出会い」は、むしろ自分から見れば遠い世界の人であり、なぜその人の目に自分が「とめてもらえた」のかもわからないほどの喜びや高揚感があったほどだ。

けれども私のその尊敬と信頼は簡単に裏切られてしまった。その人が私に性的な目を向けていることがわかり、私の思考は停止した。なぜ?という問いしかなかった。けれどもそうしたことを熟慮する前に、私はその人の欲望を受け止めるか、それとも自分の人生からその人の存在そのものを消し去るか、どちらかしかないということは直感的にわかった。そしてそのどちらも、決して私の望むものではなかった。

結果として私は後者の選択をしたのだが、そのことで大きな喪失感を味わった。長年その人に抱いてきた信頼と尊敬が粉々に消え、二度と元には戻らないこと、また、その人を尊敬してきた過去の自分そのものを否定する作業を延々と行わねばならなかった。

また、その人の社会的立場や影響力を思うと、たとえ私が彼について何か否定的な告発をしたとしても、その言葉は葬り去られるだろうと感じてもいた。言葉どころか、私という存在自体に疑問符をつけられてしまいそうだとも思った。

後になって、ごく親しい友人の一部と家族、そしてパートナーにそのことを打ち明けた時、「梓は自分の扱われ方に傷ついたんだね」という言葉をかけてもらった。そうだったのかも知れない、と思った。そして、「最低な男の人」と単純に相手のことを切り捨ててしまえずに自分を責める作業を繰り返すのを、やっとやめることができたのだった。

島本理生さんの『ファーストラヴ』のなかで、大学生の女性は自分を責め続ける。「自分が相手をそういう気持ちにさせたからいけなかった」「私は嘘つきだから」と。けれど、彼女はとても怯えているのだということが描写される。

自分をひとりの、かけがえのない存在として扱ってくれない男性たちに対して。あろうことかそのことを許容する保護者に対して。「捨てられはしまいか」という怯え。

性暴力というのは、身体の領域を侵されることだけを指すのではない。「そのように扱っても良い存在だ」と相手から見下されること、時には、その女性に対する「承認」を与え、褒めそやし、最終的には性的な接触を含んだ形で意のままにコントロールしようとすることも含まれるのではないか。

伊藤詩織さんは、就職活動のなかでそれを味わっている。尊敬するジャーナリストであり、彼の「機嫌」ひとつで自分の未来に何らかの影響が及ぼされるかも知れないというひとつの権力関係のなかで、被害を受けている。

相手とこちらとに、何がしかの上下関係があり、コミュニケーションのイニシアチブを男性側が握っているケースで、こうしたことは起こるのではないか。成人と未成年とのあいだ、社会的、職業的に立場が上である人とそうでない人とのあいだ、保護者と子どもとのあいだ。

誰かが、相手の個人的な領域や尊厳に踏み込むとき、そこに思いやりと敬意が払われているかどうかということは、とても重要だと思う。

性暴力や性虐待が、被害者に強い羞恥心を植え付けてしまうのは、絶望的かつ物理的なその出来事に対してだけでなく、「自分という人間が、そのようなことをしても良い人間として扱われた」ことへのやるせなさ、悲しさを感じさせるものだからではないだろうか。

法律の上では、そうした心理的な傷つきはあまり主要な争点にはのぼらないようにも思う。けれど、私はこの小説、物語のなかで少女を追い込んでいった眼差しの正体について、とても根源的に罪深いものであると感じる。伊藤詩織さんの尊厳を踏みにじったものの正体、そして私が過去に遭遇した「不幸な出会い」の忌まわしさの正体についても。

『ファーストラヴ』は、ライトな筆致で重いテーマを貫いている小説だと思った。島本理生さんは、淡々とした描写で鋭いものを描き出す名手である。私の個人的な、とても身勝手な感想なのだが、やはりこの人はエンターテイメントというのではなく、本来は純文学の人であると思ってしまう。14年前、あの時に芥川賞を受賞するべき人だったのではないかと思ってしまう。同時に、こんなに力のある書き手がその後も次々に傑作を世に送り出しておられること、そのエネルギーに心からの尊敬と感謝をお送りしたい。

いつか島本理生さんのサイン会などに伺えたらと願う。私の、そして現代に生きる多くの女性たちが抱える苦しみや生きづらさに、「救い」を与え続けてくれる作家のひとりとして、これからも彼女の作品を読み続けたい。

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