あずさジャーナル
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議論の立脚点/自由であろうとすること

2017.11.28

ここ数年、私たちが何気なく日常生活を送っているなかで次第に「反対ばかりして提案をしないことは悪いこと・ダメなことだ」という雰囲気が職場やあらゆるコミュニティにおいて作られつつあるのを感じる。同時に、「改憲」「国民投票」というキーワードを盛んに耳にするようにもなっている。

これらが結びついたとき、「改憲の議論に応じないのは悪いこと」「改憲案を提示できないのはダメなこと」という「イメージ」が生まれてしまうことを、私は強く危惧している。
提案がないなら反対するな、というのは間違っていて、これは変えなくともよいことを無理やり変えたい人々の言い分である。

私は、「改憲案の対案を出せ」と言われたら、「改憲しないことが私の対案だ」と答えているが、「改憲案の対案を出せ」というのはそもそも「改憲すること」が前提にある話であって、論理としておかしい。
「反対するなら対案を」は建設的な言葉のように見えて、実はそうではないのである。

安倍政権のもとで盛んに言われる「野党は反対ばかりで議論にならない」などという言葉は更に暴力的で、与党の提案することに「反対すること」そのものを封じようとする動きでもある。建設的どころか、弾圧的ですらある。

反対することは悪いこと、ダメなこと、ではない。立脚点を考えれば明らかだ。

何気ない日常のなかで醸成される「雰囲気」は恐ろしいもので、個人の思考や行動に影響を及ぼす。私は「空気を読む」という言葉も好きではないのだが、集団のなかで「個」が輪郭をなくしていく、自ら輪郭を曖昧にする、という感覚があって不安になる。

更に恐ろしいのは、この同調的な集団の「空気」が、「公共性」と同一視され始めていると感じることである。
集団のなかで個を失わせることが「公共」だと捉えられたら、そこには自由意志は存在し得なくなってしまう。

何気ない日常。それを政治や社会システムとはかけ離れた個人的な時間的・空間的営みとして捉えていると、つまりは「政治や制度について考える必要なんてない」「関心がない」と無視していると、いま享受している自由な生活が壊れていくことにも無頓着になってしまうだろう。

「自由でありたい」と願う人ほど、政治や社会システムに強く関心を持っているはずである。

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