あずさジャーナル
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違和感のあること

2017.04.07

驚き、怒りを覚えるニュースが飛び込んで来た。

朝日新聞の報道によると、本日の衆院内閣委員会で、義家弘介・文部科学副大臣が民進党の泉健太氏の質問に対し、幼稚園など教育現場の毎日の朝礼で子どもたちが教育勅語を朗読することについて「教育基本法に反しない限りは問題のない行為であろうと思います」と答弁したとのことだ。

 

そんな馬鹿な。
これが「文科副大臣」の見解なのか。信じられない。本当に、信じられない。

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朝日新聞の記事中より引用。
: 「泉氏が「『教育基本法に反しない限り』とは何か」と重ねて問うと、文科省の白間竜一郎審議官が「どういう教育を行うかは一義的にそれぞれの学校で創意工夫しながら考えることであり、問題があるかどうかは法令等に照らし、所轄庁である都道府県が適切に判断される」と答えた。」

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審議官の答弁は、泉氏の質問への答えになっていないではないか。これではまるで「問題があるかどうかは都道府県がそれぞれに判断するものだから(文科省は)知らない」と言っているのと変わらないではないか。そんな答えは許されない。責任のある答弁をするべきだ。責任回避をしてはならない。

議会で質問をしていて、いちばん無念なのは、答弁する側がこちらの質問に直接的に答えず、はぐらかしがあったり、もっともらしい表現で答弁をしつつも、実質的には「ゼロ回答」である時だ。それでも追及していくのが仕事であるし、むしろそこからが頑張りどころなのであるが、これはあまりに酷い。

怒りがおさまらない。

 

私たちの「平穏」な日常を守り支えてきたものは、日本国憲法であり、私たちがこうして自由に思いや考えを口にし、表現できる自由も憲法によって保障されている。
けれどいま、個人の生活や自由意志よりも「国家」を優先するような言論があちこちで見られる。自己犠牲や我慢が美徳とされるような。

例えば、極めて私的な領域における個人のスキャンダルがメディアで連日のように大々的に報じられ、「無数の大衆」からまるで罪人のように罵詈雑言を浴びせられたり、その「不本意なる注目」のために、仕事やキャリアまで失いかねない状況に置かれたりするのは、何かこう、おかしなことではないか。

「倫理や道徳」の名の下に、「この人は規範から逸脱した人間だから、叩いて壊してしまって良い」と第三者が「判断」し、その個人の人格やキャリアまですべて否定しにかかるというのは、「みんな規範を守っている、我慢している、お前はそれを犯したのだ!」という、抑圧された大衆の怒りの発露にすら感じられる。

いま社会のなかで、他者に対しての想像力や寛容さが失われつつあるという感覚が、私には強くある。危機感を覚えている。
それは、抑圧的で排他的で「統一感」や「一体感」を強いられる社会ではないだろうか。
私たちにとって、自由意志が阻害されるような社会が豊かな社会であるとは、到底思えない。

社会は進歩する、未来的なものに向かって歩んでいくものだ、と信じたいからこそ、政治が重要だと確信している。
しかしいま、日本社会が、いや、日本の政治が「後ろ」へ向かって歩いて行こうとしているのではと思えてならない。
「日本は豊かな社会か」と問われたときに「豊かだ」と屈託なく言える人がいま、どれだけいるか。

 

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